德田俊哉(とくたしゅんや)さん/ 1972年つがる市生まれ。弘前大学理工学部卒業後、県内外のIT企業でエンジニアとしてシステム開発事業に従事。2010年、神奈川県でフリーランスとして活動を開始し、2014年、「株式会社sys-cobo(シスコボ)」を設立。2008年に結婚し、2018年、一家でつがる市へUターン。アプリケーションソフトウェアの企画、設計、開発、運用及び保守、ウェブサイトの企画、デザイン、開発及び制作を行っている。 德田幸江(とくたゆきえ)さん/ 1973年つがる市生まれ。岩手県の美容学校を卒業後、同県の美容室勤務を経て、東京都内の美容室に14年間勤務。同時期に5年間、アロマサロン勤務を兼任。オーガニックレストラン、喫茶店など幅広い業務も経験。2007年、代官山に美容室「Hair Salon SoL」をオープン。一家でUターン後、美容室を開業。夫婦と息子の3人暮らし。 |
小学校からの同級生だったという德田俊哉さん・幸江さん夫妻。ともに首都圏で働いていた時に、在京の同級生仲間との集まりで偶然再会したことがご縁で結婚。「息子を自分たちと同じ小学校に通わせたい!」という思いから、2018年、つがる市にUターンしました。
転勤で東京へ。システムエンジニアとして活躍
亀ヶ岡石器時代遺跡から出土した、遮光器土偶の巨大モニュメント"しゃこちゃん"で知られるJR五能線木造駅。德田さん夫妻のご自宅は、ここからほど近い場所にあります。自宅には、俊哉さんが経営するIT業のオフィスと、幸江さんが営む美容室を併設しています。
「私はもともと地元志向で、県外で働きたいと思ったことはないんですよ。なので、大学卒業後は県内のIT企業に就職しました」と、俊哉さん。しかし、その後、東京への転勤が決まり、都内で5年ほど勤務。大手銀行のシステム開発業務を担当していたスキルが高く評価され、ヘッドハンティングで都内の企業に転職します。 2010年には、神奈川県を拠点にフリーランスのエンジニアとして活動を開始。2014年には、「株式会社sys-cobo」を設立しました。
代官山に美容室をオープン
奥さんの幸江さんは、岩手県の美容学校を卒業後、同県の美容室勤務を経て、東京都内の美容室に14年間勤務しました。
「当時はカリスマ美容師のブームもあり、お店も大盛況。雑誌やショーの仕事にも携わりやりがいもあったのですが、あまりの忙しさに疲れちゃって...。それで、美容師以外のジャンルも経験してみたいと思い、もともと興味のあったアロマ業界で働くことに。勤めていた美容室の社長は、戻りたくなった時に、感覚を取り戻しやすいようにとの配慮から、週1日のペースで美容室の勤務をさせてくれて...。それ以外の日はアロマサロンで働いていました」。
アロマインストラクターの資格取得やネイルの勉強。オーガニックレストランや老舗喫茶店でのアルバイトと、興味のあるものに次々にトライした20代。
「でも、30歳を過ぎ、自分が自信を持ってできることは何だろうと考えた時、やはり美容師しかないという結論にたどり着いたんです」。
そんな時、青山の美容室の社長から、「これまでの幅広い経験を生かして、若手のスタイリストの育成を手伝ってほしい」と頼まれ、新サロンの店長を任されることに。
「悩みましたがこれまでの恩もありましたし、私でできるのならやってみようと。その後、独立し、2007年、代官山に小さな美容室をオープンしました」。
のびのび子育てできる青森へ帰ろう
ちょうど、その頃、2人は都内で開かれた同級生仲間の集まりで再会します。「津軽弁での会話が心地よくて(笑)。2人とも30代半ばで、都会の刺激から癒しの方にシフトしたいタイミングでもありました」と、幸江さん。交際がスタートし、2008年に結婚、神奈川県で暮らし始めました。
結婚後、子どもが生まれてからは、都会での子育ての大変さを痛感したといいます。
「保育園はたまたま運よく入園できましたが、通常であれば第8希望まで書いても希望の保育園に入園するのは至難の業。公園は混雑していて遊具も順番待ち、ベビーカーを押して電車で通勤している時に嫌な顔をされることもしばしば。地方に比べて何倍も気を遣って、押さえつけながら子育てしなければならない。人間が成長する過程で必要なものは、やっぱり都会より田舎のほうが充実しているなあと感じました」と、幸江さんは当時のことを語ります。
「自分たちがそうだったように、息子を自然のなかでのびのび育てたい!自分たちと同じ小学校に通わせたい!」そんな思いから、2018年、家族でつがる市にUターンしました。
友人たちの応援のおかげで仕事も軌道に乗り
移住するにあたって、誰もが気になるのはやはり仕事のこと。
「幸い私たちの仕事は居住地の制約がないので、お互いがこれまで培ってきた技術と経験を生かすことをベースに考えました。ただ、IT業という私の仕事は果たして地方で商売として成り立つのか...かなり不安でしたね」。
そこで、俊哉さんは、WEB制作はもちろん、名刺のデザインや企業のロゴデザインなど求められるものにはできるだけ応え、信頼を得ることから始めました。
「地元で認知度の高い企業のHPを制作したことで評価を得られることも多く、近隣市町村の企業などからも仕事の依頼をいただくようになりました。東京では99パーセントがプログラミングの仕事でしたが、今はデザインがメイン。でも、小さい頃からデザインが好きだったので、今はやりたいことができていて幸せです。これも友人たちがサポートしてくれたおかげ。戻ってきて100パーセント良かったと思っています」。
俊哉さんは、以前から好きだったクレイアートも本格的に始め、HPで作品の販売も行っています。自宅の壁にはカラフルなクレイアートの時計や雑貨が飾られており、余暇の時間を楽しんでいる様子がうかがえます。
みんなに見守られて子育てする安心感
Uターン後、一番大きく変わったのは子育て環境だと言います。
「妻の実家はうちから歩いてすぐの場所にあり、私の両親は隣接する五所川原市に住んでいます。忙しい時に、子どもを預けられる場所があるという安心感は絶大です」。
首都圏では、保育園にお迎えに行く時間が1分でも遅れると500円の追加料金が発生したり、朝も病院に寄ってから登園させたくても10時半までに登園できなければ、その日は休ませなければならず、いつも時間に追われていたと言います。
「それに比べて地元では、みんなに見守られながら子どもを育てられるという安心感があります」。
幸江さんは、地域コミュニティについても語ります。
「都会は人口が多くせわしないので、自分の知り合い以外はかまっている余裕がありません。それに比べて、こっちでは地域の人やその先のつながりまで配慮して支え合っている気がします。コロナ禍で特にそれを実感しました。また、食べ物が安くて豊富なだけではなく、おすそ分けの文化があるのも都会とは違う点。先日も釣った魚を大量にいただいて、ネットで検索しながらさばきました(笑)。また、雪国では農業・漁業者だけでなく誰もが自然を相手にしながら生活しているので、いろんな意味でおおらか。戻ってきた当初は、そんな暮らしぶりに戸惑いもありましたが、今では人間にとって大事なものや豊かさってこういうことなのかなって思っています」。
みんなに見守られて子育てする安心感
2020年4月、息子さんは晴れて両親の母校である小学校に入学しました。休みの日は、家族で温泉に出かけたり、夏には海水浴やキャンプを楽しんでいます。コロナ禍の前には、東京の友人カップルも8組ほど自宅に遊びに来て、青森ねぶたや五所川原立佞武多を楽しんだといいます。「先日、友人に、『これからの時代の価値はお金ではなく、自然豊かな田舎で好きな仕事をしながら仲間と充実した時間を過ごすこと。だから、お前は時代の最先端だ』って言われたんです」と、笑う俊哉さん。
「私も妻もここまで来るには悩んで眠れない日々も過ごしましたが、そんな自分たちだからこそ、先輩移住者として手助けできることがあるかもしれません。今、首都圏で暮らしている、特に私と同年代の男性の中には、Uターンしたくてもタイミングがつかめず、都会に骨をうずめるしかないのかな...と思っている人たちがたくさんいるはず。あと一押し、誰かがちょっと背中を押してあげれば戻るきっかけがつかめる。その"ちょっと"を移住者の視点でアドバイスできればいいなと思っています」。
「移住を実現するには、仕事、住む場所、コミュニティの3つが大切だと思いますが、たとえば個人移住だけでなく、企業ごと移住するモデルケースがあってもいいのかもしれませんね。田舎ならではの古民家物件をまるごとオフィスにしたり、地吹雪だって都会の人には魅力的なのかも。私たちも友人、知人、地域の方にたくさん助けてもらったので、もし、この街によそから移住してくる人がいたら、微力ながら私たちも力になりたいですね」と、幸江さん。
夫婦がともに育った大好きなふるさとへの想い、そして今度は、我が子が育っていく街。そんなふるさとに対して自分たちなりに貢献していきたいという真摯な気持ちが伝わってきました。
「株式会社sys-cobo」webサイト https://sys-cobo.com/
「Hair Salon SoL」webサイト https://hs-sol.com/