石山 紗希(いしやま さき)さん/1990年青森市生まれ・弘前市在住。弘前大学農学生命科学部卒業後、国際協力機構「JICA」の青年海外協力隊としてガボン共和国へ派遣。異国の地で活動する中で、青森に帰って何かをやりたいと考えるようになり、帰国後は修行のため東京へ。約3年後の2018年に弘前市の地域おこし協力隊としてUターン。地域の課題解決や新たな産業創出に取り組む「Next Commons Lab」弘前支部(2018年設立)の現場コーディネーターに。2022年にはコーディネート会社・株式会社ORANDO PLUSを創業。弘前市を拠点にチャレンジする人たちや地域・地場産業をつなぐ事業に取り組んでいる。 |
大学在学中、大学の先生からの繋がりで青年海外協力隊の活動を間近で見ていたという石山紗希さん。「会社で働く自分よりも、協力隊になって、現地の人と汗水垂らして農業をやるという自分のほうがイメージできた」と話します。そうして渡った異国の地で、見つめ直した自分のアイデンティティー。「この仕事にはその道のプロがいる。じゃあ、私にできることは何? そう考えたときに、私は日本の、生まれ育った青森に帰って何かをやらなければと。そんな謎の使命感を覚えたんです」。
そんな想いを胸に踏み出した、地域と外部を繋ぐコーディネーターとしての道のり。自分らしい生き方を地域で実現していく人たちを支えながら、「持続可能な地域づくり」を目指し奮闘しています。
アイデンティティーを見つめた先にあった、地域コーディネーターという天職
石山さんは、大学卒業後に青年海外協力隊の「野菜栽培」隊員として2年間活動しました。派遣先は、中部アフリカの大西洋沿岸にあるガボン共和国。新卒で経験のないまま渡った、遠い異国の地。しかもそこは農業が盛んな地域ではなく、農業活性化というミッションのもと現地の人と野菜づくりに取り組んだものの、力不足を感じたといいます。
「任期の終わりが近づいた頃は、ぼんやりとその先のことを考えていました。ガボンで暮らせば暮らすほど、日本人である自分のアイデンティティーを意識するようになって。協力隊に参加するような人はさまざまな国や地域に行っているのに、青森に来たことがあるという人は誰一人いない。それが悔しくて、自分が青森を盛り上げたい、盛り上げねばと思うようになりました」。
アイデンティティーを意識したことで、故郷への想いを強くした石山さん。
「でも新卒でガボンに行ってしまったので、地域を盛り上げるといっても、何をどうすればいいのかわからない。そこで、 まずは3年修行しようと」。そう考えて就職活動を進めると、運命的な出会いが石山さんを待っていました。見つけたのは、実践型インターンシップや起業支援プログラムを提供する東京のNPO法人。「求人の対象者の欄に、数年働いたら自分の地域で何かしたい人という記載があって。これは自分のことだと思いましたね」。
ローカルイノベーション事業部に配属された石山さんは、全国各地のコーディネート機関と連携して、地域の実践型インターンシップの企画運営、プロジェクトの設計や伴走支援に取り組みました。
「日本の実践型のインターンシップを始めたさきがけ的存在で、ノウハウがすごくある団体。東京にありネットワークも構築しやすく、この3年で本当に色々な人たちと仕事ができましたし、各地にも行かせてもらいました。自分らしい生き方を地域で実現したい人と、やりたいことがあってもなかなかできない地域側をうまくつなげてあげると、お互いにいい形を実現していくことができる。そんな事例をたくさん見ることができたんです」。
面白いことに取り組んでいる地域、さまざまなチャレンジが持続している地域には、その役目を担う地域コーディネーターと呼ばれる人たちが必ずいるということを知った石山さん。「青森を盛り上げたい」という想いが叶う天職を、この3年で見つけました。
外の立場から、地域側へ
東京にいる間に、青森で活動する地域コーデイネーターたちともつながりを持った石山さん。地元の話やさまざまな経験話を参考に、自身の拠点に弘前を選びました。
「当事者意識を持って動けそうだと思ったのは、住んだことがある青森市か弘前市。そのうち弘前市は、街自体面白くてすごく好きですし、楽しい思い出もたくさんある。何より大学が多いので、何かやれる可能性がありそうだと思いました」。
そう考えていたところで、「Next Commons Lab」(以降NCL)という、地域の課題解決や新たな産業創出に取り組む東京に本社を持つ団体が、弘前で移住や起業家の育成支援をするというプログラムを動かすタイミングだということを知ります。東京でNCLと仕事をしていた経験もあった石山さんは、移住希望者をコーディネートし、プラットフォーム(土台となる環境)を作るアソシエイトコーディネーターの求人に手を挙げました。
「現場で泥臭く働けそうで、自分に合っていると直感しました。まずは、これをやってみようと」。
2018年4月にNCL弘前を設立。石山さんは、本部のサポートを受けながら、ほぼ1人で基盤を整えて、7人の移住起業家を迎えました。事業計画の中には「拠点作り」の項目もあり、ハード面の整備にも奔走。そうして翌年生まれたのが、古い建物をリノベーションした「HIROSAKI ORANDO」(以降オランド)です。
「最初はコワーキングスペースとして始めたのですが、あまり利用者が増えず、どういう場なのか認知が広がりませんでした。そこで、対外的には飲食店として、気軽に利用してもらえるようにしたんです」。
現在は1階にカフェとギャラリー、2階にゲストハウスを併設する複合施設に進化。石山さんや地域の仲間たちのユニークな発想が散りばめられている施設で、1階のカフェは曜日によって店とメニューが変わったり、2階のゲストハウスにはリンゴ箱で作ったドミトリーがあったりで、移住や起業に関係しない人たちからも注目を集めています。
「さまざまな人が絡み合って、何かを形にしていく。さまざまな人の発想があって、やりたいことをぶつけ合い混ざり合って、そういうことができる場所というのを目指していく」。そんな石山さんの想いを形で表しているかのようなオランドは、なお進化を続けています。
「実を言うと、場所を持つとしばられてしまうようで、個人的にはあまり気が進まなかったんです。でも、街の玄関じゃないですけど、つながりを求める人たちがふらっと来て話をする場所はやっぱり必要ですよね。ならば泊まるという機能もあったほうがいいと考えて、ゲストハウスもやることにしました。やれることが増えるんだよと、自分に言い聞かせて。まさか宿泊までやることになるとは当初は思っていなかったのですが、やると決めたので、今は前向きです。チェックインだってやりますよ」と笑顔で話します。
2階のゲストハウスのベッドはリンゴ箱製!青森ならでは空間です
持続可能な地域を目指して、人と人を繋ぐコーディネートに徹したい
「やりたいことを実現するには、時間がすごくかかる」と石山さん。3年かけてハード面であるオランドという場所を整備してきたことへの率直な感想です。「コーディネートの実務というところまでは、まだまだ足りていない。この事業に頂上があるとするならば、まだ2合目か3合目というところ。これからは、ソフト面であるコーディネート事業をもっと増やしていきたいですね。オランドは、それを広げていくための場所という認識が私の中では強い。学生のインターンシップもそうですし、関係人口の事業もそう。オランドという場所を通じて、さまざまなアプローチの仕方で、地域の企業や団体と人を繋ぐプロジェクトをやっていきたいです」。
2022年度から始まった、弘前の文化・経済・暮らしにプロジェクトベースで参加する、関係人口創出事業「Entre!(アントレ)」のプロジェクトはその一つです。前半のねぷたコースでは県外在住者計17名が約1週間オランドに滞在し、受け入れ先の4団体で制作や運行の補助を行いました。石山さんは、ねぷたの担い手不足と、弘前やまつりに関わってみたい人双方のニーズに応えられたと感じたそうです。
「弘前って、プレーヤーがすごく多い。青森県全体でも多いと思いますが、それぞれの活動が点で行われているので、そこに横串を通すような動き方をしていきたい」と、石山さん。オランドという場所ができたことで、気軽に弘前にきてもらえるように感じているといいます。「Uターンしてきた若者が、まずオランドに行けばいいよと言われてきたと聞いたときは嬉しかったですね」。
持続可能な地域づくりが大切という考えを根底に持つ石山さん。その実現を目指して、チャレンジの機会を作り、挑戦する人を増やして、さまざまな人の行き来を作り続けたい。石山さんもまた、挑戦を続けています。