青森県の南端、岩手県との県境にある三戸町。絵本『11ぴきのねこ』の作者である馬場のぼるの出身地であることから、2002年より「絵本の町づくり」がスタートし、現在では「11ぴきねこのまち」として知られるようになりました。そんな三戸町に関わっているうちに、Iターン移住してしまったのが五十嵐淳さん。"関係人口"側だった五十嵐さんは、地域と外の翻訳家として活動しています。
五十嵐 淳(いがらし じゅん)さん/
秋田県秋田市出身。「三戸郡を応援してくれる人の輪を増やし、三戸郡から応援する文化を拡げる」をスローガンに掲げる任意団体、サンノヘエール代表。地域と外の翻訳家。三戸町テレワーク推進事業の協力企業として2016年に初めて三戸町を訪れ、2018年に移住。現在は地元農業の販路拡大や輸出、商品開発などにも携わる。
三戸町は、「よくきてくれたね、ありがとう」と言ってくれるまち
まちあるきイベントやワークショップ、情報発信などを通して三戸郡を応援する任意団体「サンノヘエール」。その代表を務める五十嵐淳さんですが、実は秋田市出身。三戸町との出合いは2016年、三戸町テレワーク推進事業の協力企業として訪れたのがきっかけでした。
「それまでは、申し訳ないことに三戸町というまちがあることすら知りませんでした。いざ三戸駅に着いてみたら、住所は南部町なんですよね。『なんだここは!?』っていうのが第一印象(笑)。よその人間が地域に入っていこうとすると、どうしても警戒されてしまうのですが、三戸でスーツケースを引いて歩いていたら、『よくきてくれたね、ありがとう』『なにしにきたの?』って声をかけられるなど、地域の人がすごくウェルカムでした。また、農産物の直売所で売られている、なんてことないりんごジュースがめちゃくちゃおいしいとか、僕にとっては魅力だらけだったんです」。
それまで存在すら知らなかった三戸町に「ずぶっとハマッていった」と、当時を振り返る五十嵐さん。気づけば、どうやったらこのまちに移住できるだろうと考えはじめていました。
キャリアパスのヒントは町役場の職員
りんごのおいしさに感動した五十嵐さんは、三戸町の関係人口としての立場から、東京や仙台の人に、りんごを紹介するようになっていきました。そんなとき、農産物を海外へ輸出したいという事業者が現れ、輸出に興味のあった三戸町の農家さんのつなぎ役を担うことに。五十嵐さんが両者の間に入ることでビジネス用語を翻訳し、シームレスな連携が実現しました。このことで、たしかな手応えを得ることができ、同時に移住したときのキャリアパスのヒントにもなったといいます。
「事業者と農家さんをつなぐきっかけをつくってくれたのが、町役場の職員である中村大樹さんでした。中村さんの親もりんご農家さんなのですが、手近ですませるのではなく、輸出にチャレンジする意欲のあった別の農家さんを紹介してくれたんです。彼との出会いがなければ移住していなかったでしょうね。中村さんの活動は役所の職員の範疇を超えているので、もし異動になったとき他の職員にはできないだろうと思いました。それなら、民間の自分がやればいいんじゃないかと」。
地域に入り込んで暮らすということ
現在、町役場が主導する関係人口づくりの施策だけでなく、個人で主催するプロジェクトも行っている五十嵐さん。自身が"関係人口"側だった経験から、地域に入り込んで暮らすことについて、こう話します。
「都会だと知らない人には挨拶しないように教育されますが、ここでは挨拶するのは当たり前。そして、自分が何者なのかを明確に意思表示することが大切だと感じます。どういう目的で来ていて、何に取り組もうとしているのか。そして、考えるべきは、取り組みたいことが、本当に三戸町の人にとっていいことなのか。『地域のためにやっている』と言いながら、自己満足でしかないことって意外とあります。『農家さんの食品ロスの課題解決のためにB級品を引き取ります』と言われるより、その農産物をS級にするための方法を考えるほうが、よっぽど農家さんの課題解決になることもある」。
だから五十嵐さんが意識しているのは、あらかじめ利害を明示すること。例えば、バイヤーが買い付け先を探している場合、農家さんに「こういう思いがある農家さんの商品を扱いたいそうです。もし商品を卸せたらメリットがありますか?」と、きちんと説明してから引き合わせることで、目的をもとに話ができるようになるのだといいます。
三戸町の「アップルドーム」。
地域の人が本当に困っているのか、喜んでくれるのかを第一に考えている五十嵐さん。三戸町の人に喜んでもらえるのが何よりも嬉しい、と笑います。
「お金をもらってありがとうって言われるんです。これって、当たり前じゃないですからね。普通はお金を振り込まれて終わりです。でも、このまちだと、お金をいただいたうえに『ありがとう』って言ってくれる。そして、他のお客さんをわざわざ紹介してくれたりもするんです。Win-Winって言葉がありますが、目先のお金を得ることだけじゃなく、お互いが関わったことで企業価値が上がったとか、それぞれが笑顔になれる取り組みがしたい」。
三戸町に移住する前は、意外にも五十嵐さんは自己肯定感が低く、「自信のなさを虚栄心で誤魔化しながら生きてきた」そう。「でも、三戸町に移住して必要とされるようになってから、正直に何を言ってもいいんだなって、安心して思えるようになりました」。
次世代のプレイヤーを育成するのが目標
これから力を入れたいことは、関係人口を含めて、次世代のプレイヤーを増やしていくこと。社会起業家養成プログラムを行ったり、地元の高校生向けに授業を行ったりと、人材の育成に力を入れています。
「何かやりたいけれどモヤモヤしているような自信のない人でも、僕がお手伝いしますので、ぜひ一歩を踏み出しましょう。地域の魅力を言語化することは外部との架け橋になるため、そうした人たちが増えると、関係人口が増えることにもつながるはず。関わっている人が変わっていく瞬間を見ると、とても嬉しいんです」。
何かにチャレンジしたい人たちを、地域の人につなげていくーー。移住のきっかけとなった、町役場の中村大樹さんの姿が重なります。地域の課題について考えている高校生が五十嵐さんを訪ねてくることもあり、「彼ら彼女らが一度は三戸町を出たとしても、帰ってくるまでここで活動を続けていられたらな」と話します。五十嵐さんの蒔いた次世代への種は、今まさにすくすくと育っています。